今回は「文字が読める」ということと、「本が読める=意味がわかる」 ということにはギャップがあるという話です。
娘が3歳頃の話です。絵本を読んでもらうのが大好きだった娘があるとき、ひらがなの「いぬ」を『いぬ』と読んだのです。
絵本の読み聞かせにいいかげん疲れていた私は「しめた!これでまもなく絵本を読むことから解放されるかもしれない」と思いましたよ〜
「すごいねー、読めるんだ」とほめた後で、何気なく
私:「いぬってなんのことか分かる?」
娘:「わからない」
私:(え?)「『いぬ』って犬のことだよ」
娘:「そうか、『いぬ』って犬のことなんだ」
というすごく間抜けな会話をして、私が学んだこと
ひらがなを発音できることと、読めることは違う!
これは単語のはなしですが、文となれば、さらにハードルは上がってきます。娘が絵本を読む(見る?)様子を観察した結果、文の意味を分かって読めるようになるまで少なくとも1年はかかっていました。(そして、読み聞かせはその後もずっと続くことに)
これは、子供に限ったことではありません。私たちも英文の単語は全部わかっても、文の意味がわからないということはあると思います。中学生や高校生に数学を教えていて、解けないのが問題文の意味を読み取れないため、ということは本当によくあるのです。
文が読めるとは、その文がどのような様子を表しているかがわかるということです。
字が読める=本が読める というわけではないというお話でした。