今日、小2から中2の途中まで通っていたSちゃん(女子)から、高校合格の報告がありました。
本人にOKをもらっていないので高校名は出しませんが、私立女子高の中では日本で一番入るのが難しいレベルの学校です。
中学受験をしなかったので、小学生の頃は「受験をする子から問題を出されたんだけどできなかった」みたいに悔しがることもありました。
私は「大丈夫!方程式解けるようになれば、こんなの簡単よ!」って言ってましたが、結局、中2の初めごろまでには無理なく中3の内容が終わっていました。
私が一番感心していたのは彼女の疑問の持ち方でした。
例えば、
「◯◯のときは△△になる」という説明の文があったら、
「◯◯以外の時はどうなるのか?」
「△△のときでも◯◯にならないときがあるのか?」
というような疑問をもつ生徒さんだったのです。
(これは高1の「必要条件・十分条件」でやるようなことです)
また、あるときは、
「『行きに18km/時、帰りに12km/時で往復したときの平均時速を求めなさい』という問題の答えはなぜ15km/時にならないのか」
という質問を持ってきました。
正しい平均時速は14.4km/時ですが、それはわかった上で、「なんでたして2で割ったら違うんだろう」という疑問でした。
教材に収まり切らない彼女の疑問を一緒に考えるのは楽しく、自分の学びにつながるものでした。
わかるためには、まず自分でわからない所をわからなくてはなりません。
自分がわからないことに敏感であることが、より深くわかることにつながっていきます。
だから「賢さ」というのは、単に与えられた問題を解ける能力ではなく、様々な角度から疑問を持つ能力ではないかと思うのです。